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January 22, 2015

小湊中央太鼓踊り (鹿児島県南さつま市) ID:1421908624カテゴリー » 郷土芸能(民俗芸能)

 南さつま市加世田小湊地区に伝わります「小湊中央太鼓踊り」について、保存会会長の小園富士男様にお聞きすることが出来ました。
 「小湊中央太鼓踊り」は、現在10月の第3日曜日の日に豊年を祝って八幡神社に奉納されています。(昔は10月15日が小湊寄木八幡神社の例祭でした。)また、学校・漁港・公民館など他様々な所で踊られています。
 「小湊中央太鼓踊り」の由来は、島津義弘公が朝鮮征伐の出陣の時士気を鼓舞する為に始まったとされ、中央集落伝承の太鼓踊りの起源は、隣の大浦町平原の踊りをそのまま持ってきたと云われ、踊りの内容もほとんど同じで、変化のある優雅な踊りです。
 小湊中央太鼓踊りは、大太鼓打ち18人、中打ち(小中学生)鉦・小太鼓各2人の計4人、歌い手6人ぐらいの構成になっています。
大太鼓打ちは、白装束で背に孔雀や山鳥の羽根と七夕紙の飾りをつけ、色物のタスキをかけ腰には色もののはぎれをさげます。矢旗の中に木で作ったナギナタをはさんでいます。そして、「サーヨイサッサ、ヨイヨイ」と鉦や太鼓のリズムに合わせて体をくねらせたり、両手をふりかざして力いっぱいに踊ります。
中打ちの少年4人は、白装束で特に美しく飾った花笠(造花で飾った花カンムリ)をかぶり、白足袋にゾウリばき、腰には色とりどりのはぎれを下げます。鉦と小太鼓の合奏は、リズムカルで勇壮であり踊りの誘導をします。
歌い手は、縦縞模様の着物をつけスゲ笠をかぶる。スゲ笠は、細長く切った色物の布ぎれを下げ、顔がかくれるようにする。そして、白足袋にゾウリばきです。
小湊中央太鼓踊りは、長い伝統をもっていますが、戦時中途絶え 昭和26年から古い用具で復活し昭和60年になって青年団や消防団から「郷土の芸能で村おこしを」との声が高まり、新しい衣装や用具をそろえて26年ぶりに復活されました。
小園会長のお話では、中打ちを受け持つ小中学生の減少が気になるそうです。
 今回、お話をして頂きました小園会長には、本当にありがとうございました。今後とも、よろしくお願いします。
   (写真は、JA南さつま農業祭と保存会の皆さんです。)


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June 18, 2014

ジャンカ馬踊り (宮崎県三股町) ID:1403054537カテゴリー » 郷土芸能(民俗芸能)

 宮崎県三股町の中米(なかよね)・檪田(くぬぎた)地区に伝わります「ジャンカ馬踊り」について、中米地区の保存会長の中西敏秋様と檪田地区の保存会長 大脇安男様・馬主の倉元順市様にお聞きすることが出来ました。
 「ジャンカ馬踊り」は、毎年4月29日の早馬神社の早馬まつりで奉納されています。その他、11月におこなわれる ふるさとまつりや依頼があった時等に踊られます。
 「ジャンカ馬踊り」の由来は、詳しい由来は定かではないですが、鹿児島県国分地方から伝えられたと云われています。一説には、山の作神を招くために、馬に大地を踏ませ地母神の眠りを覚まさせたと云われています。また、呪具馬鈴の音で五穀豊穣・牛馬安穏を祈る神事芸能でした。
 ジャンカ馬踊りは、「鉦」「太鼓」「三味線」にあわせて花飾り等で飾り立てた馬が足ふみをし、そのまわりを鼻取り・手綱引き それに、たくさんの踊り子が囲み踊ります。馬が足踏みをするたびに、馬の首につけられた多くの鈴が鳴り響き、これがジャンカ馬の起こりと云われています。馬の背に以前は作神の化身と云われる猿を乗せていましたが、現在は猿の人形を乗せています。
馬主の倉元さんに馬を見せていただきましたが、大きなりっぱな馬でした。
 今回、お話をして頂きました中西会長・大脇会長・倉元さんには、本当にありがとうございました。今後とも、よろしくお願いします。
  (写真は、上が「早馬まつり」下が「鹿児島神宮初午祭」です)

                                        
扇寿堂
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February 04, 2014

金山踊 (鹿児島県さつま町) ID:1391494302カテゴリー » 郷土芸能(民俗芸能)

 薩摩郡さつま町時吉地区に伝わります「金山踊」について、保存会代表者の下市隆治様にお聞きすることが出来ました。
 「金山踊」は、踊られる日は特に決まっていませんが、祝い事・催し物・町から依頼等があった時などに踊られます。
 「金山踊」の由来は、寛永17年(1640年)宮之城島津氏第4代藩主久通公が藩財政の窮乏を救うため、金を探し当てることを考え 当時の金鉱探査に秀でた山伏(技術者)を遠くは島根県・熊本県より数名雇い入れ、穴川沿いに金を探させました。時吉地区を流れる穴川沿いに逆上って永野に至るまでの険しい道のりの金脈を探す様を表現したのがこの踊りと伝えられています。
 金山踊は、右手に錫杖(しゃくじょう)左手に山刀(やまがたな)を持って踊ります。錫杖は、魔除け・獣おどし、左手の山刀は険しい道中の道開きのためのものと云われています。唄の文句は「後は山、前は川」という、たったこれだけを長く伸ばしたり縮めたりして唄うものです。
下市代表のお話では、現在30歳〜50歳台で構成されており 6人が1組となり3組(18人)で踊られているそうです。唄は、下市代表が唄ってられるそうです。
 今回、お話をして頂きました下市代表には、本当にありがとうございました。今後とも、よろしくお願いします。
      (写真は「金山踊」です)

 
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August 21, 2013

秋津島舞「アケスメロ」 (鹿児島県さつま町) ID:1377062519カテゴリー » 郷土芸能(民俗芸能)

 薩摩郡さつま町柏原地区に伝わります「秋津島舞(アケスメロ)」について、保存会会長の田平道夫様にお聞きすることが出来ました。
「秋津島舞(アケスメロ)」は、今から三百数十年前 豪族大前氏・渋谷氏・祁答院氏と移り変わる合戦の絶え間のない時代から、やがて島津氏が薩摩を治め、勢力を拡大しようとする頃より、武士としての絆を確かめ合い、武士の踊りとして踊られ、出陣前には神前に士気を鼓舞し、必勝祈願、合戦後は凱旋の祝いとして長矢旗と共に踊られてきました。また、幕末より五穀豊穣・祈願感謝の秋祭りとして9月に古紫尾神社・南方神社(諏訪神社)に奉納後、祁答院 渋谷良重墓前で踊ったそうです。
秋津島舞「アケスメロ」は、大正末期より途絶えていましたが、復活の気運が高まり保存会が結成され、昭和54年に「さつま町柏原区秋津島舞保存会」が復活。柏原区文化祭・町民祭(旧鶴田町)・各種祝い事等で踊られましたが、踊り子の減少などにより一時途絶えたものを、指導者の熱意・区民の協力・踊り子の意気込みにより、小中高生が大人に交じり継承されています。
 田平会長のお話によりますと、現在 人手不足も懸念されますが、絶やすことなく後世に伝えていきたいとのことです。
 今回、お話をして頂きました田平会長には、本当にありがとうございました。今後とも、よろしくお願いします。

(写真は、上の左が「第1回さつま郷土芸能祭」、右と下が2013年自慢館、鍋祭りの時のです)

               
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June 15, 2013

大山琉球傘踊り (鹿児島県指宿市) ID:1371273758カテゴリー » 郷土芸能(民俗芸能)

 指宿市山川大山地区に伝わります「大山琉球傘踊り」について、保存会会長の内薗正英様にお聞きすることが出来ました。
 「大山琉球傘踊り」は開催日は特に決まっていません。敬老会・六月灯・その他行事・指宿市からの依頼があった時などに踊られます。
 「大山琉球傘踊り」について、由来の解説文には、次のように書いてあります。
「江戸時代には、琉球から上国使や慶賀使・謝恩使が薩摩や江戸に上がることが通例になっていました。使者はまず山川港に上陸し、成川・大山・利永を通って枚聞(ひらきき)神社に参拝しました。
使節団は大和風の服装・ことば等を禁じられ、異国風を強制されていました。また開聞神社までの道々に、余興として踊りを披露することがありました。
大山に伝わる琉球踊りは、この一行が披露した踊りを地元で受け入れ、変容したものであります。
歌詞は、琉球・奄美の島々に残っている「上り口説・下り口説」と類似しています。踊りは集団踊りです。
踊りの内容は、薩摩への旅の哀愁を表現したものです。利永琉球傘踊りと類似していますが、道化役が加わるのが特色です。」
 大山琉球傘踊りは、戦後しばらく途絶えていましたが、昭和62年9月に27年ぶりに復活し、伝承しています。
 内薗会長のお話によりますと、大山地区には他にも、小・中学生により踊られる「大山子供棒踊り」や、一般の方々により踊られる「大山棒踊り」もあるそうです。現在、人手不足は、ないそうです。
 今回、お話をして頂きました内薗会長には、本当にありがとうございました。今後とも、よろしくお願いします。
   (写真は「大山琉球傘踊り」と枚聞神社です)

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